FIFAコンフェデレーションズカップ2013の開幕戦でザックジャパンが対戦するブラジル代表の注目選手をリサーチする。その第2弾はカカだ。
リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ
この名前からなぜ「カカ」と呼ばれるようになったのかわからなかった。実は、幼い弟が「リカルド」を発音できずに「カカ」と呼んでいたという一般によくあるような出来事が由来らしい。
クラブのキャリアは、サンパウロ, ACミラン, レアル・マドリードと名門を渡り歩いている。特にACミランでの活躍が絶頂期にあたり、プレミアリーグのマンチェスター・シティがサッカー界史上最高額の1億ユーロ(約120億円)以上ともいわれる移籍金をミランに提示したことによる移籍騒動が勃発したエピソードがある。巨額の移籍金にミランも移籍を容認したが、本人は残留を希望しミランに残留することが決まった。また、多くのサポーターは移籍に大反対し、中にはカカの自宅周辺などに集結したサポーターもおり、カカは窓からユニホームを掲げ、笑顔で応えたという。
カカには移籍にまつわるエピソードが他にもある。サンパウロからACミランに移籍した際には、自分の取り分も含めた全移籍金をサンパウロFCへお世話になったお礼にと渡した。それを知ったACミラン経営陣は感激し、再度カカの取り分を支払ったという。
また、ACミランからレアル・マドリードへの移籍の際には、ACミランへの残留がベストであるとしながらも、ACミランの財政難を考えればこその移籍だと語った。
ポジションは攻撃的ミッドフィルダーを得意としているが、ウィングなどのフォワードもこなす。写真のフォーメーションは10月16日のザックジャパン戦のものだが、右ウィングを務めた。
クラブでの活躍
サンパウロFC傘下チーム
9歳でサンパウロFCの会員用チームに加入した。当時から優れた技術を持っていたが、他の選手に比べ線が細く、補欠に甘んじていた。しかし、その後トレーニングによりビルドアップに成功し、弱点を補強した。
サンパウロFC
2001年2月にサンパウロFCのトップチームデビューを果たした。途中出場ながら、2得点を決めると、以降レギュラーに定着した。
ACミラン
2003年にACミランに移籍すると、入団時のメディカルチェックで他の選手とかけ離れた数値を記録して驚かせた。特に加速値と絶対スピードは、担当者に「こんな数値は見たことがない」といわしめるものだった。2003-04シーズン開幕戦から驚異的な活躍を見せスタメンの座を確立し30試合に出場し、チームのセリエA制覇に大きく貢献している。2006-07シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグで10得点をあげ、ブラジル人としてはリバウド以来の得点王となり、チャンピオンリーグ優勝の立役者となりUEFA最優秀選手に輝いている。また、FIFAクラブワールドカップ2007では1得点3アシストと大活躍し、ヨーロッパ代表として優勝に導いている。更にこれらの活躍を評価され、バロンドール、FIFA年間最優秀選手賞、FIFPro年間最優秀選手賞、英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞をいずれも初受賞した。現在のブラジル代表の中で、最も輝かしい実績を持っている選手がカカだ。
このころから、レアル・マドリードがカカに触手を伸ばしており、8000万ユーロ(約130億円)の移籍金と手取り1200万ユーロ(約20億円)のオファーがあったようだ。
レアル・マドリード
常に所属クラブへの感謝の気持ちの強いカカは、ACミランに残留することを希望していたが、ACミランの財政の苦しさを考慮してレアル・マドリードに移籍した。また、カカも移籍するならレアル・マドリードしかないと考えていたようだ。
移籍後は恥骨炎の影響や、半月板の手術による半年の離脱もあり思うような活躍ができていない。メスト・エジルの台頭などもあってレギュラーの座を奪うまでには至らず、2011-12シーズン終了後には移籍報道が加熱した。しかし、カカ自身は一貫してレアル・マドリード残留を明言した。
各クラブでの活躍
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 欧州カップ戦 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
サンパウロ | 2001 | 8 | 27 | 12 | 7 | 1 | 5 | 0 | 39 | 13 |
2002 | 8 | 22 | 9 | 9 | 6 | – | – | 31 | 15 | |
2003 | 8 | 10 | 2 | 5 | 0 | – | – | 15 | 2 | |
通算 | 59 | 23 | 21 | 7 | 5 | 0 | 85 | 30 | ||
ACミラン | 2003-04 | 22 | 30 | 10 | 4 | 0 | 10 | 4 | 44 | 14 |
2004-05 | 22 | 36 | 7 | 1 | 0 | 13 | 2 | 50 | 9 | |
2005-06 | 22 | 35 | 14 | 2 | 0 | 12 | 5 | 49 | 19 | |
2006-07 | 22 | 31 | 8 | 2 | 0 | 15 | 10 | 48 | 18 | |
2007-08 | 22 | 30 | 15 | 0 | 0 | 9 | 3 | 39 | 18 | |
2008-09 | 22 | 31 | 16 | 1 | 0 | 4 | 0 | 36 | 16 | |
通算 | 193 | 70 | 10 | 0 | 63 | 24 | 266 | 94 | ||
R・マドリード | 2009-10 | 8 | 25 | 8 | 1 | 0 | 7 | 1 | 33 | 9 |
2010-11 | 8 | 14 | 7 | 3 | 0 | 3 | 0 | 20 | 7 | |
2011-12 | 8 | 26 | 5 | 4 | 0 | 8 | 3 | 39 | 8 | |
通算 | 65 | 20 | 8 | 0 | 18 | 4 | 92 | 24 | ||
総通算 | 317 | 113 | 38 | 7 | 85 | 27 | 486 | 165 |
ブラジル代表での活躍
2002年に初めてブラジル代表に招集され、FIFAワールドカップ2002のメンバーにも入っている。ワールドカップでは出場時間25分のみだったが、優勝を経験している。FIFAコンフェデレーションズカップ2005では、決勝戦のアルゼンチン戦でゴールを決め優勝している。
FIFAワールドカップ2006では、ロナウジーニョ、ロナウド、アドリアーノと共にカルテット・マジコ(「魔法の4人」)と言われ世界中で話題となったが、個々の選手の個人技が際立つがチームとして機能せずベスト8だった。強力なタレントを複数擁する難しさというのはやはり実際にあるものなのだ。
FIFAコンフェデレーションズカップ2009では代表の10番を背負い、ブラジルの優勝に貢献すると共に大会最優秀選手に輝いた。
FIFAワールドカップ2010では、カルテット・マジコで唯一代表に選出されたが、前回同様ベスト8に留まった。
その後代表に招集されない時期が続いていたが、クラブでのプレーも好調になってきていることから、2012年10月11日のイラク戦で代表復帰を果たした。この試合で1ゴール1アシストし、10月16日のザックジャパン戦でも1ゴールをあげている。11月14日のコロンビア戦(スコア1-1)も出場し、代表復帰後3戦連続で出場となった。
カカ・ゴール集動画
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